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Jun 2

伴侶 Company

一つの声が闇のなかの誰かにとどく。想像すること。

一つの声が闇のなかで仰向けになっている誰かにとどく。とりわけ背中にかかる圧力でそれがわかり、彼が眼をあけてはまたつむるとき闇の変化する様でそれがわかる。言われたことのごく一部しか確かめられない。例えば、おまえは闇のなかで仰向けになっている。と言うのが聞こえてくるときなど。この場合彼は言われたことを認めるしかない。しかし、言われたことの大部分はとても確かめられない。例えば、おまえはこれこれの日、日の目を見た、と言うのが聞こえたときなど。例えば、二つが結びつくこともある。おまえはこれこれの日、日の目を見た、そして今おまえは、闇のなかで仰向けになっている。おそらく、一方に他方の明白さを波及させようとする策略だ。そこでこんな命題が成立する。闇のなかで仰向けになっている誰かに、一つの声がひとつの過去を告げる。場合によっては現在に関することだか、まれには未来に関することだ。例えば、おまえはちっともかわらないまま、くたばってしまうだろう、というふうに。そして別の闇、あるいは同じ闇に、もう一人の誰か。すべてを自分の伴侶として想像しながら。そっとしておこう。

S・ベケット「伴侶」(宇野邦一訳)


May 30

想像的原因の錯誤

 夢の話からはじめることにします。例えば遠いところに砲声が聞こえた結果として、何か特定の感覚が発生したとします。こういう感覚に何らかの原因が擦りつけられるのは、後になってからの話なのです。(夢見る人自身を主人公にした一寸した小説は往々にしてこのケースです。)砲声が聞こえなくなった間も、その特定の感覚だけはずっと一種の反響として続いています。この感覚は、原因を求める衝動によって前面に立ち現れることを許されるまで、いわば待機しているのです。――そして時期が来れば、そのときには偶然としてではなく、「意味」として立ち現れるのであります。砲声は一種の因果的な仕方で立ち現れるため、時間は外見上、前後が逆転いたします。つまり時間的に後のもの、動機づけの方が、先に体験されます。この体験はしばしば稲妻のように疾過するこまかな事柄を伴ってなされ、”その結果として砲声が起こる”、という順序になります。

F.ニーチェ「偶像の黄昏」(西尾幹二訳)


A torinói ló   The Turin Horse 2011


May 29

漂う舟

 さうか さうなのか 霧は夢 水は欲望の それぞれ
喩として 俺たちを取り巻いているのか しかし 話は
いかにも出来すぎてゐるやうだ 本当なのかなあ と思
う間もなく 舟はややに傾き さながら宇宙大のカクテ
ルグラス 巨きな巨きな暗黒の渦の斜面を しづしづと
廻つて行く 降つて行く

入沢康夫「漂う舟 わが地獄くだり」


ムネーモシュネー

われらはひとつのしるし、解くすべもなく、
苦しみも感ぜず、ほとんど
言葉を異国のなかで失ってしまった。
それゆえ、人間たちの頭上の
天に争いがおこり、荒々しく
あまたの月が進むとき、海もまた
語り、川の流れはおのれの道を
探し求めねばならぬ。けれども、疑いもなく
ある一者は存在する。この一者は
日ごとに事態を変えることができる。彼にはほとんど
掟は無用なのだ。そして木の葉は響きを立て、
かしわの樹々は万年雪のかたわらで
風にゆれる。なぜならば、天上のものたちも
いっさいをなしうるわけではない。すなわち
死すべき身の者たちはまず深淵のほとりに到達するのだ。
こうしてエコーは
彼らとともに変転する。ながながと
時は流れるが、
真実のことはおこるのだ。

ヘルダーリン「ムネーモシュネー」第二稿第一連 浅井真男訳


May 26

砕けたスクリーン

ぼくは見た、死者たちが海の上に横たわって

もう一度死ぬのを

ぼくは見た、死者たちがいくつもの橋を発明するのを

もしもぼくが渡っていくなら

ぼくはきみについていこう あいかわらず

火と火のあいだ薪の山と薪の山のあいだには

嵐のそれとも敷石の帝国があり

魚たちの燕たちの

ガラス瓶に入ったあおるべき毒の酔いがある もしもきみが

渡っていくならぼくはきみの歩みの計画となり

糸のそなえている不思議な強情さになるだろう、そしてぼくは

きみの顔を見つめるのに必要なだけの時間をかけるだろう

日々は黙した声の数々の端で指折り

数えられ それからすべては黒くなる ぼくは見た、死者たちが

ぼくたちの肺で呼吸をし海が下へ

彼らの息吹を不滅のものにするのを、その時きみは組み上げていた

一つ一つのアンテナごとに忍耐の

砕けたスクリーンを 

(エドモン・ジャベス「私は住処を建てる」より 守中高明 訳)


May 8

感覚脱落症

 前に自分は、西脇氏を感覚脱落者にたとへた。身体の他のすべての部分は、敏感すぎるほどに敏感であり、聡明すぎるほどに聡明なのだが、ただ或る一つの部分だけが、全く無感覚に脱落して居るのだ。そしてこの脱落した部分が、即ち氏の場合に於ける「生活」なのである。つまり西脇氏は、生活を持たないところの詩人なのだ。そこでこの詩人には、文学の形態やレトリックに関する限り、なんでもよく犀利に解るのだが、一度文学の内容問題、即ち文学する精神の本質に触れてくると、まるで理解がないといふ以上に、無神経な感覚脱落者になるのである。そこで氏の文学論には、モラルもなく、人生もなく、意志もなく、ヒューマニチイもなく、すべての文学する精神を虚脱された形態ばかりが、解剖台の上の死体のやうに提出されている。しかも美学者である西脇氏は、その「物質」に過ぎない死体を、さも生命あるもののやうに取扱ひ、死化粧した女のやうに美しく眺めてゐるのだ。これは美学のメスを手にするところの、不思議なアブノーマルな外科医である。


「西脇順三郎氏の詩論」萩原朔太郎(「椎の木」昭和12年2月号)


May 4

DOMENICO

  from Andrei Tarkovsky “Nostalgia”


May 1
MAGDALENA ABAKANOWICZ

MAGDALENA ABAKANOWICZ


Apr 29

 花

虎と百合との混合とそのくずれのあの春も終り
に近づいたのだ。また足をはねあげてかすみの 
豆のトゲのかすれの屋根のおちこみの春のまた
終りの春の眼のときならぬアーチの蛇の氷のき
らめきとまた農夫の幽霊の跳りの春さめの女の
花の小鳥の竹のきりさめのはららごの首環のあ
どけなき破壊のはなびのくるしみの永遠の単な
る変形の春のその千万年のくるしみにまたはげ
しいわだつみのくだら観音のもつあのトックリ
の色とそのまがりのモナリザの野原に咲くなで
しこのヒョウタンフクベの生のうすみどりのあ
われにもその水の流れに鳴く水鳥のメログラフ
ィアのアルベルトーのジャコメッティの戦車の
ガガンボの栄華の青銅の春雨はこの小さい町の
上にやわらかに降つている。

(西脇順三郎「人類」より)


Apr 26
dempow:

Heliocentricity
By Major P

dempow:

Heliocentricity

By Major P


Apr 25

Apr 17
BALTHUS

BALTHUS


Apr 7

Jacobello Alberegno : détail du triptyque de l’Apocalypse (Source : Galleria dell’ Academia).

Jacobello Alberegno : détail du triptyque de l’Apocalypse (Source : Galleria dell’ Academia).

(via luminousinsect)


Apr 4

5:46 am - Paris underwater

Directed by Olivier Campagne & Vivien Balzi
Music by Brice Tillet

…I remembered a story of sunken city Ys.


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